すべてまやかし すべては虚構
はい、「上を下へのジレッタ」のことを書こうと思っていたのに、前振りで3000字オーバーした人が通ります。(無計画)
http://prismpower.hatenablog.com/entry/2017/05/30/221949
でも、やっぱり「ブルームーン」と「破門〜ふたりのヤクビョーガミ〜」を通ったから思うこともあるじゃん…?(言い訳)
ってことで、ようやく「上を下へのジレッタ」について、私の独断と偏見を含んだ、個人的な感想を綴ります。ネタバレも含みますのでご了承下さい〜。
5月14日昼公演、初見でのザッとした感想
・とりあえず門前市郎の顔が美しい
・劇中めちゃめちゃ歌う
・想像の30倍くらい歌う
・そして踊る
・チエ(しょこたん)かわいい
・リエ(ユイカちゃん)かわいい
・有木(竹中さん)の声が良い、通る
・門前市郎の顔面が素晴らしい
・女性アンサンブルで推しを決めたい
・山辺(ハマケン)とチエがかわいい
・金の紙吹雪の中の門前市郎はスター
・花魁風な女性と踊る門前市郎はジャニーズ
・門前市郎の顔が麗しい
・結局リエを求める門前市郎が愛おしい
・ソファーポンポン(悶絶)
・舞台俳優さんの発声はすごい
・劇中歌が良い、とても良い
・気付いたら 妄想歌謡劇 の世界観にいた
・ソファーの上で側転
・門前市郎のモノトーン衣装が良い
・門前市郎の顔が良い
・ピアノや家具が2Dで漫画原作感
・とにかく門前市郎のお顔が最高
・横山裕に門前市郎が劇的に似合う
・門前市郎を演じる横山裕が最高
とりあえず想像していたより何もかもレベルが上だった。原作・手塚治虫(=漫画原作)の”妄想歌謡劇”ということで、演出で色んな工夫があるんだとは思っていたが、劇中にあんなにも歌が散りばめられているとは思っていなかったし、グランドピアノや家具などのセットの一部が2Dで作られていたり、”ジレッタ”に入り込んでから現実に戻る場面では必ず漫画の文字のような【つづく…】と書かれたボードが登場したり、漫画原作の舞台の表現にはこんなやり方があるんだな…!と思えるような、観劇前には想像していなかった演出が沢山あった。だから舞台を観ている、というよりも、アニメーションや3D映画を観ているような感覚に陥って、気がついたらしっかりと”妄想歌謡劇”の世界に引き込まれていた。
あとはとりあえず、やっぱり横山さんの顔は美しい。麗しい。最高。(着地点)
この公演では、劇中の観客からの拍手は一切起こらず、私は周囲を見渡してキョロキョロしてしまった。スタオベもなく、ジャニーズ出演の舞台ではお決まり芸のようになってしまっているのもどうかと思っていたが、なかなかシビアな反応だなとも思った。そんな観客と、まだ少し固い印象の演者の相互作用で、舞台特有の緊張感のある雰囲気だった。
そんな空気感の中で”座長”として舞台の上でライトを浴び、門前市郎を懸命に演じる横山裕は、とてもかっこよかった。しっかりと 門前市郎 として生きていた。シンプルにかっこよかった。とても凛々しく、頼もしかった。
それと同時に、歌やダンスへの苦手意識を持っているというか、「上手な方じゃないんで…」という文言を常々口にしていた横山さんが、舞台で歌い、踊っていることに感動した。自分にとって自信のあるものだけでなく、自信のないものも含めて、今できることを精一杯、観客を前に舞台上で表現する横山裕がそこにはいた。その姿を見て、この「上を下へのジレッタ」は、完全に”横山裕のネクストステージ”だと思った。
ジャニーズだったら歌って踊れるのは当たり前!なのはわかるが、横山さんは長らくそこで勝負はしていなかった、と思う。苦手なものに意欲的に取り組むようになったのは恐らくトランペットを始めたり、身体を鍛えるようになったりしたここ数年のことだと私は認識している。横山さんは”自分の武器を増やすこと”に向き合い始めたんだと感じてはいたが、まさかこのスパンで主演舞台という”演じる”仕事を引き受け、その内容がまさか苦手だと公言している歌やダンスを含むものだなんて、私は思いもしなかった。横山裕をなめていた。
言ってしまえば、私は「破門〜ふたりのヤクビョーガミ〜」の二宮啓之に出会うまでは”演じる”横山さんに自信がなかったわけで、歌とダンスに関しても本人が得意ではないと言っているし、正直ファンである私から見ても上手な方ではないと思っている…。そんな横山さんが、ここまで真正面から色んなものに立ち向かうとは思っていなかった。ボイトレをするなんて思っていなかった。正直、横山さんをなめていた。見くびっていた。だから良い意味で、舞台に立つ横山裕に裏切られた。
私はそんな感動を抱えながら物語の最後まで観劇すると、すでに胸がいっぱいだった。カーテンコールでキャストの皆さんが登場してくる流れで私の目には涙が浮かび始め、最後に”座長”の横山さんが登場したと同時に泣いた。(情緒)自担がかっこよくて堪らなくて、誇らしくて堪らなくて仕方がなかった。心からそう思えたことを嬉しく思い、精一杯の拍手を送った。横山担の人格としてはブラボー!!!って叫んであげたかった……スタオベ出来なかったザ・日本人の自分を恨んだ……なぜ私にはラテンの血が流れていないのだ……(?)そんな少しの悔しさと、胸いっぱいの誇らしさと、現実離れした”妄想歌謡劇”の世界への名残惜しさを抱えて、この日はシアターコクーンをあとにした。
そして私にとって2回目であり最後の観劇となる、5月27日昼公演。
この日も横山担の友人とともに客席一階の中段、センターブロックの通路側の座席に着いた。舞台を観る私の視界には観劇を妨げるものが何も存在せず、ホッとした。そして正面から舞台を観れることが有り難かった。
1回目の観劇の際にパンフレットを購入し、掲載されている劇中歌の歌詞を読んでから、より劇中歌の歌詞や世界観に私は惹かれていた。主役の門前市郎がテレビディレクターであるところから物語が始まり、芸能プロダクションを立ち上げたり、自分がプロデュースしたタレント(チエ)と海外スターの共演を画策したり、架空の世界である”ジレッタ”を知って壮大な計画を目論んでいくため、劇中歌も芸能を相手にしている登場人物が歌う場面が多い。※以下劇中歌一部抜粋
すべてまやかし すべては虚構 「それが何?」とあなたは言う 「上手に騙せ」とあなたは言う 見事 叶えて差し上げましょう 組織ぐるみの大嘘つき フェイクの達人 電波マジシャン チャンネル回して 目を開け 望みどおりの 虚構の世界 望みどおりの 虚構の世界《虚構の共犯者》
・
Oh Oh Oh Fake star!偽りの名声 Oh Oh Oh Fake star!偽りの喝采 けれど じゃあ「本当の私」は? 見向きもされない「本当の私」 とどかない「私の肉声」 「本物」は無価値? 「真相」は闇の彼方へ…… 独り歩きのFake star Fake star Fake star《Fake star》
・
Keep on lying. 君が見つめているうちは…… Keep on lying. 君から名前を呼ばれるうちは…… / Keep on lying. これ以上もう進めない…… Keep on lying. どれほど高い場所に来た? Keep on lying. 落ちたら砕け散るだろう…… Keep on lying. まだ昇れというのかい?《偽りの代償》
・
アイドルになったから アイドルを名乗るんじゃない アイドルを名乗るから アイドルになれるのよ 先手必勝 こっちが決めるのよ 《アイドルの逆襲》
ジャニーズ所属のアイドルを応援している私から見て、これらの歌詞は少しチクチクとする。でも、それが良い。”触れてはいけない”というか、”触れないようにしている”ようなことをこの舞台は歌う。それが良い。すごく良い。そして「上を下へのジレッタ」の大きなポイントである”ジレッタ”は、山辺によって創り出された妄想の世界である、ということも相まって、この舞台に引き込まれれば引き込まれるほど、私は今自分が目にしているものの世界線が曖昧になっていく感覚を覚えた。初めての感覚だった。考えれば考えるほど混乱する。でも、不思議と嫌じゃない。この感覚に陥ることが、 ”妄想歌謡劇”「上を下へのジレッタ」の醍醐味だと思った。
横山さん演じる門前市郎は、自分の欲求に貪欲で、どこか不安定で、飢えているときこそ輝くような、したたかな精神を持っているように見えた。何かが成功したかと思うとそれを手放し、常に大きな、強力な、絶大な何かを求めているように見えた。しかしその傍らには、その影には、必ずリエがいる。門前は最終的な決定権を、リエに託しているところがある。国家単位のプロジェクトに加担して成り上がったと思えば、リエの一言でそれを捨て、再び貪欲に求め始める。門前はリエに《君には俺しかいないはずだ》《欠けてるピースはすぐ目の前にあるよ》と諭すように歌う。どこか冷酷にも見える門前のそんな一面に、人間味が垣間見えた。
…だから私はリエになりたい。(脱線)
最終的に門前は世界中に”ジレッタ”を見せしめることを企み、堕ちていく。”ジレッタ”を生んだ山辺はチエを失った現実から逃れるため”ジレッタ”に沈み、山辺を失った世界は”ジレッタ”の制御を失い、飲み込まれていく。このラストシーンで、門前は自分が手に入れたかった”ジレッタ”という事象に、都合のいい世界に飛び込める道具であったはずの”ジレッタ”に、飲み込まれていく。なす術もなく、苦悩しながら、”ジレッタ”の世界に飲み込まれていく。
そして、”ジレッタ”の世界を表現する演出である【つづく…】の文字が現れ、場面転換はなくその文字のみが【おしまい】に変わり、この物語が終わる。
このラストシーンでの門前の姿を見て 似合うなぁ と改めて思った。
私は横山さんの”横山裕”としての姿を慕い、応援している。つまり偶像崇拝である。(?)
要は、私は”横山侯隆”のことは微塵も知らないし、知りたいとも思わないが、”横山裕”については、出来るだけ知りたいと思うし、出来るだけ表舞台に立つ姿を見たいと思う。だから誤解を恐れずに言うならば、私の個人的な意見として、”横山侯隆”の名前を呼ぶことはナンセンスだな、と思ってしまう節がある。私はそんな自分なりの芯を通して横山担を名乗ってきた。
そして巡ってきた横山裕主演 ”妄想歌謡劇”「上を下へのジレッタ」。
Twitterなどでも何度も見かけたが、私も《すべてまやかし すべては虚構》と何度も歌う門前市郎(横山裕)に運命的なものを感じてしまった。ジャニーズ事務所に所属して芸名を名乗り、表舞台に立ち続けてきたアイドルである”横山裕”が《虚構の天才》を”演じる”。《Fake star》と連呼する。《フェイクの達人 門前市郎》の姿を”横山裕”が演じることによって、”ジレッタ”が何重にも重なる。舞台の世界観に引き込まれた観客は”ジレッタ”の中で迷子になる。私にはそう感じられたし、これもこの舞台の意図的な演出なのかもしれないな、とも思った。
この日は横山さんが”門前市郎”として生きているそんな世界の中で、劇中にも多くの観客が拍手を送っていた。多くの笑い声が生まれていた。約2週間前の何もリアクションのなかった客席とは明らかに違う、空気の動きがあった。出演者の方々も心なしか印象が柔らかくなっていて、特に山辺(ハマケン)や有木(竹中さん)は舞台を楽しみ、それを伝染させるのが上手いなと思った。舞台は生物だ、とよく聞くが、本当に作品が生きていた。息をしていた。それを感じた私は、泣いた。(情緒)横山さんがこのカンパニーに出会えたこと、この温かい雰囲気の中で舞台に立てること、すごく有難いなと思った。幸せだろうなと思った。そしてここに居合わせることが出来た私も幸せ者だと思った。そう思ったら涙が出ていた。(情緒)
そしてこの日はスタンディングオベーションも起こり、私も精一杯ジレッタカンパニーへ拍手を送った。
観劇を終えて、すごく清々しい気分だった。横山担の友人とお茶をしようという流れだったのに、気づいたら2人してビールを頼み、乾杯していた。(常習犯)
感想を述べ合ったが、「ソファーポンポンからの、口笛ぴゅ〜の指でクイクイはいつからやってんの?」「あれはやばい脳が溶けた」「あのLINEスタンプ欲しい」「いやなんかもう、生きてて良かったわ」「横山担やっといて良かった」「いやでもとりあえずソファー」「門前市郎やばくね」「リエになりたい」「脚が長い」「スタイルが良い」「最終的に顔が本当にかっこいい」「門前さんまじ似合う」「横山さん好きだわ大好きだわ」という感じだった(幸)
本当に「上を下へのジレッタ」に出会えて良かった。東京公演、無事に千秋楽を迎えられたことを心から嬉しく思います。大阪公演、見せつけてきて下さい!!!!!!!!!!!!!!ジレッタカンパニー最高!!!!!横山裕最高!!!!!!!バンザーーーイ!!!!!
私と関ジャニ∞と野外フェス
私がブログを開設しようと思った動機のひとつ、関ジャニ∞・METROCK 2017出演。
《2017年(平成29年)5月21日 ジャニーズ事務所所属のアイドルグループ・関ジャニ∞が野外ロックフェスMETROCK 2017に出演》って日本史の教科書に載せて欲しい。《5・21 METROCK事変》とか言って載せて欲しい。
って思うくらい、私にとってものすごーーーく嬉しくて堪らなくて、一生忘れないだろうなという出来事。
改めてちゃんと言うけど、私はMETROCKには行っていない。しぬほど行きたかったけど、実際行けなかったけど、それでも、私はしぬほど魂を揺さぶられた。だから、書く!!(どーーーん)
でも気合い入れて色々思い出しながら書いてたら、すごく長くなってしまった(ポンコツ)
基本的にここはものすごく個人的な感情の掃き溜めだから、石は投げないでください…(怯える)
私は明確には2011年の暮れから関ジャニ∞にハマり(この過程は今回は割愛)、同時進行で以前から好きだったライブハウスやフェスにも足を運んでいた。心底思うけど、大学生は時間が腐るほどある…。そんな私の人生初の野外フェスは今は無き「ROCKS TOKYO」*1だった。
この日私は初めてワンオクのモッシュに飛び込んだ。軟骨のピアスホールがちぎれるかと思った。初めて生でサンボの熱い歌を聞いて、うるっときた。初めてNUBOがオーディエンスに遊ぼうぜ〜!と言いライブをすることを知って、見ず知らずの人たちと肩を組んで踊ることが大好きになった。*2初めてクリープハイプと\ セックスしよう!/*3と叫んだ。初めてテンフィが夜の野外を埋めるオーディエンス全員を跳ばせる光景を見て、すごく感動した。
野外で音楽を聞き、自由にレスポンスをしたり、昼間の強い日差しや爽やかな風を感じたり、しっとりとした曲に耳を傾けながら夕陽を見たり、見ず知らずの人たちと肩を組んで踊ったり、アルコールを飲みながら身体を揺らし続けることができる、そんな野外フェスは素晴らしいな、と思った。
私がそんな野外フェスの魅力を初めて感じたその場所は、新木場の若洲公園だった。
METROCK 2017 で関ジャニ∞が初めて野外フェスのステージに立った、あの新木場の若洲公園だった。
野外フェスには少し疎遠になってしまっているが、同じものが好きという共通点のみでその場所にいる見ず知らずの人達が思い切り楽しめること、そうさせる音楽の力や各バンドの魅力、それを加速させる野外の空気、敷地内を少し移動するだけで気になるアーティストを直に感じれるお得感、イベントを作り上げるスタッフやアーティストの音楽に対する熱量、それら全てひっくるめて私は野外フェスが好きだ。
だから私はずっと、ただの個人的な私欲として、実現しないだろうという幻想として、関ジャニ∞に野外フェスのステージに立って欲しいなぁ、と思っていた。
そんな淡い幻想を抱きながらも時は流れ、2015年関ジャニ∞リサイタル お前のハートをつかんだる!! @長野エムウェーブ。*4私は猛暑の中グッズ列に並んでしにそうだったのだが、このセットリストにおけるラストのバンドナンバー《言ったじゃないか→ズッコケ男道》の2曲を聞きながら、気付いたら自分の拳を力いっぱい突き上げていた。
段差のないアリーナ会場で、メンバーの姿はもちろん、私の視力ではモニターに映る姿さえ満足に見えない会場の後方で、私は彼らの音楽を楽しんでいた。団扇は座席に放り投げ、汗だくになりながら拳を突き上げ、腕を広げ、ひたすら跳んだ。何故そうしたか理由なんてない。身体が勝手に動いていた。関ジャニ∞の音楽を感じて、反射的に身体がそう動いていた。
初めての野外フェスで、あの若洲公園で、音楽の楽しみ方を知ったときのように、私は関ジャニ∞の奏でる音楽を全身で楽しんでいたのだ。
基本的に私は関ジャニ∞のバンド曲が好きだし、音楽を奏でる関ジャニ∞が好きなんだと自覚はしていた。楽器を演奏しながら歌う関ジャニ∞が1番”息をしている”と感じるし、”関ジャニ∞に音楽をくれてありがとう”と神に感謝したくなる、名前の付かない感情を抱くからである。
これも私の幻想のひとつに過ぎないので聞き流してもらっていいのだが、関ジャニ∞のそばに音楽があったお陰で、彼らは7人の関ジャニ∞でいられたんじゃないかと私は思っている。7人で音と声を重ね合って作る音楽があったお陰で、7人でいることができたんじゃないかと思う。色んな感情や思いがぶつかり合うことがあっても、関ジャニ∞に歌とギターとベースとドラムがあったお陰で、キーボードとパーカッションとハーモニカとブルースハープとトランペットがあったお陰で、彼らはここまで一緒にいれたんじゃないかと思う。
だから私には、関ジャニ∞が奏でる音楽が”関ジャニ∞の呼吸”のように見える。
リサイタルで見たバンドの2曲は、その”呼吸”がすごく生命力に満ちていて、熱くて、ギラギラしていて。だから私は全てを忘れて拳を突き上げて飛び跳ねてしまったんだと思う。このとき私は、関ジャニ∞には熱くて人の心を揺さぶる何かがあると改めて思った。
そして漠然としたものではあるが、関ジャニ∞はバンド演奏で”呼吸”をしているからこそ、アイドルとして”生きる”ことが出来るんじゃないかと思った。
ずっと関ジャニ∞のそばにあった音楽を彼らの手で発信するからこそ、アイドルとしての他のパフォーマンスが、”活きる”んじゃないかと思った。私はそんな関ジャニ∞のことが心の底から好きなんだ、と思った。
ここから私は、関ジャニ∞に「パフォーマンスをする自分たちの姿を”ファン以外の人”に触れてもらえる機会」をどうにかして手にして欲しい、と思うようになった。「私(=ファン)の手が離れた場所で活躍してほしい」という新しい思いを抱くようになった。
要は「関ジャニ∞が世に解き放たれて欲しい」と思ったのだ。
そんな思考を巡らせた末、フォロワーさんと「フェスが無理ならゲリラライブでもしないかな(笑)」と話をしたりした。
ここで関ジャニ∞に楽曲提供をして下さったアーティストを思い返してみた。※一部抜粋、敬称略
上中丈弥・久保裕行(THEイナズマ戦隊)、斉藤和義、横山剣(クレイジーケンバンド)、ケツメイシ、ウルフルケイスケ(ウルフルズ)、九州男、スキマスイッチ、北川悠仁(ゆず)、藤森真一(藍坊主)、増子直純(怒髪天)、若旦那(湘南乃風)、Saori・Nakajin(SEKAI NO OWARI)、童子-T
〜2014年自主レーベル*5立ち上げ〜
峯田和伸(GOING STEADY/銀杏BOYZ)、RIP SLYME、長瀬智也(TOKIO)、高橋優、OKAMOTO'S、谷口鮪(KANA-BOON)、山口隆(サンボマスター)……
……え、やっぱフェス出るしかなくない?(真顔)もはやお願いしたら自主フェス開催できそうじゃない?(真顔)
という、結局フェスに出て欲しいという私欲が止まらなくなる残念な結果に終わった。(単細胞)
そんなときに舞い込んだ《関ジャニ∞・テレビ朝日ドリームフェスティバル出演》。この前年にすばるくんが1人で出演し、「関ジャニ∞っていうアイドルグループやってます!!!」と宣言してきた、通称ドリフェス。そこに関ジャニ∞として出演することが決まった。
代々木の第一体育館という音楽フェスにしては比較的小さめな会場ではあるが、ジャニーズ事務所の所属ではないアーティストと並んで、不特定多数の観客がいる会場で、関ジャニ∞がパフォーマンスをする機会が与えられたということが、非常に有り難かった。
この頃の私はひたすらチケット運も休みも金もなく(転職前の暗黒期)、ドリフェスには行けなかった。(絶望の絵文字)
でも蓋を開けてみれば、前年に比べて関ジャニ∞のファンが会場に多くいたようで、アウェーとまではいかなかったが、セットリストを組む等の事前準備を含めて、ドリフェスという普段とは違う環境でパフォーマンスをするということがグループにとって大きな刺激になったんだろうと思う。そして何より、関ジャニ∞のファンが、胸を張って彼らを表に出すことが出来るようになったんじゃないか、と思う。外界でパフォーマンスをする関ジャニ∞に光を見出せるきっかけになったんじゃないか、と思う。
ファンが”ファン以外の人”に触れる関ジャニ∞を肯定し、思い切り背中を押せるようになったことに関しては、《関ジャム 完全燃SHOW》や、《関ジャニ∞クロニクル》の貢献度も非常に高いと私は思ってるので、本当に今の環境が有り難いものだと認識している。ありがとう世界。
でも、一方でその関ジャニ∞の進路に違和感を感じたり、自分のアイドルに対する価値観との相違を感じたりして、関ジャニ∞から離れていく人もいたと思う。
私は関ジャニ∞が自主レーベルを設立した頃、関ジャニ∞の進路が見えず、ファンである自分の気持ちも、関ジャニ∞が抱く思いも、よく分からなくなったことがあった。でも、頭で考えることをやめて、彼らが発信してくれるものを素直に受け止めながら、心が動くまま、彼らを応援すればいいと思えてから、何だかんだ楽しく応援してこれた。
でもそれは、たまたま関ジャニ∞が進む道と、私の価値観が同調できる側面が多かったからで、少しのズレがあっても後々歩み寄れるような距離だったからで、色んなタイミングも含めて、本当に素敵な偶然なんだと思う。
だから、離れてしまった人やこれから離れてしまう人がいることを嘆く必要もないし、咎める必要もないし、その事象は自然の摂理なんだと思う。アイドルに限らず、アーティストとファンという関係においてそれは、ただただ、普通のことなんだと思う。きっとアイドルは、アーティストは、関ジャニ∞は、そういうことをまるっとひっくるめて、まるっと受け止めて、こうやって進んでいくんだ、今はここで輝くんだ、と示してくれているんだと思った。そう思うようになった。
そして私は2016年のツアー・関ジャニ's エイターテインメントに足を運び、2015年のリサイタルで漠然と感じたことを再確認する。
セットリストにおけるアコースティックナンバー《日替わり曲→言ったじゃないスカ》、ここは個人的に、横山さんがトランペットを始めてからずーーーっと密かに思っていた”スカバンドをやってほしい”という願望を突然さらっとやってのけた関ジャニ∞に腰を抜かした。
バンドナンバーである《Tokyo horic→象→NOROSHI》の三曲は、あの日のリサイタルのように手を叩き、拳を突き上げ、身体を揺らしながら関ジャニ∞の音楽を全身で楽しんだ。この三曲でチケット代の元が取れたと思った。
でも何よりも、このツアーは公演が終わってから”なんかすごい楽しかったんだけど何これ…?”という、今まではここまで感じたことのない大きな満足感があった。
今思えば、きっとそれは関ジャニ∞がきちんと”呼吸”をして、きちんとアイドルとして”生きて”いたから得られた満足感だったんだと思う。私が好きだなぁと思う関ジャニ∞の色んな側面を存分に”活かした”ツアーだったんだと思う。
東京へ向けた皮肉たっぷりのラブソングのような《Tokyo holic》を五大ドームで歌い、ツアーの最後の最後に《TAKOYAKI in my heart》という大阪への愛を歌う関ジャニ∞。愛おしいでしかないじゃないか。
そしてついに、私が喜びのあまり阿鼻叫喚する、あの夜がやってくる。
2017年5月12日、私はこの日Mステに出る東京B少年*6を見るために、仕事を終えて帰宅し、テレビの前に座っていた。Twitterを覗きながら、Mステを見ていた。
すると突然、今日出演していない筈の自Gのアー写が画面に映し出され、《独占解禁 関ジャニ∞のサプライズ情報》という文字とナレーションが私に飛び込んできた。完全にこの時点で私の脳の情報処理スピードが追いついていない。あまりにも突然すぎて え、なに? と反射的に口から出た。ちなみにすでに立ち上がっている。
次の瞬間、テレビの画面には《自身初となる野外フェス METROCK 2017 に出演決定》という文字が映し出された。
信じられなかった。
待って待って待って待って待って知らないからえ?!え?!?!待って?!?!これ今出た情報なんだよえ?!?!(突然リビングにいた母に説明する)ほんと待って待って待って待って………まじなん?!?!?!?!……待って……えーーーーー?!?!?!?!やばいやばいやばい……えーーーーーー?!?!?!
とひたすらテレビの前をうろうろしながら叫び続けた。「待って」って何なんだろうか。でも本当に「待って」だった。一切ついて行けてなかった。お願いだ、少し待ってくれ、私の思考も情緒も追いついていない。パニックだった。
でも間違いなく嬉しかった。信じられないくらい、心の底から、本当に、嬉しかった。私がアメリカ人なら Oh my God を様々な抑揚で連呼していたと思う。オーマイガー祭りだったと思う。(?)本当に本当に本当に、嬉しかった。
私がずっと ”個人的な私欲として” 、”実現しない幻想として” 抱えていた《関ジャニ∞の野外フェス出演》が現実になってしまったのだ。しかもすでにチケットは完売済みとのこと。
めちゃくちゃかっけぇなおい!!!!!
フェスは無理でもゲリラライブ…の話を超越して、もはや”野外フェスという名のゲリラライブ”をやろうとしてるじゃねーか。
めちゃくちゃかっけえなおい!!!!!!!!(5秒振り2度目)
私はMETROCK当日、ビアガーデンに行く予定だったのだが、ソワソワが止まらず胃をキリキリさせながら友達と待ち合わせをした。完全に心ここにあらずだった。一杯目の生ビールは味がしなかった。若洲公園に解き放たれた関ジャニ∞に思いを馳せていた。
Twitterを覗きながら、セットリストを把握しながら、野外フェスに関ジャニ∞が出演していることを実感していった。マイナスな情報も目にはしたが、間違いなく”ファン以外の人”の目に関ジャニ∞が触れてもらっている世界が、「関ジャニ∞が世に解き放たれた」世界が、そこにはあった気がした。
外界への重たい扉を押し続けて、ときにはメンバー1人ひとりの仕事や知名度で後押しをし続けて、そうやって踏ん張り続けてきたら、質のいい冠番組も関ジャニ∞というグループを後押ししてくれて、音楽面でもたくさんのバックアップをしてもらえて、やっと光が入るくらい、やっと気持ちいい風が吹き込むくらい、少しずつ扉が開いてきたんじゃないかと私は感じている。
だからファンはその扉を閉めるようなことはすべきではないと思う。マイナスだと取れる情報に大声をあげて嘆くんじゃなくて、もっと自由に、もっと広く、関ジャニ∞がその扉を出入りできるように、プラスなことを大きな声で叫んでいきたいと私は思う。
そうしていれば、きっと関ジャニ∞がたまに扉を少し閉めて、私たちが喜ぶことを発信してくれると思うから。
今回のアルバムの、年下4人・三馬鹿のユニット分けもそういうものだと思ってる(お花畑)
よし!叫ぶぞ!
2017年6月28日発売
関ジャニ∞ニューアルバム「ジャム」
めちゃくちゃ売れろ!!!!!!!!!!!
”演じる”横山さんについて
「上を下へのジレッタ」
5/14の昼公演と5/27の昼公演を観劇して来ました。が、前振りのみでこの記事は終わります。(予告)←
いや〜〜、まずね、横山さんがこのタイミングで舞台の主演をやるとは思ってなかった。また舞台のお仕事やりたいんだろうなと思ってたし、やって欲しいとも思ってたけど、このスパンで主演舞台が来るとは正直夢にも思ってなかった。
連続ドラマ「ON 異常犯罪捜査官・藤堂比奈子」への出演、初主演*1映画「破門〜ふたりのヤクビョーガミ〜」の公開、からの 妄想歌謡劇「上を下へのジレッタ」で主演を務めるってさ……私はこんな世界知らない!!!!!ってなるじゃん、私はなった。
横山さんがコンスタントに役者としてのお仕事をする、そこに私が魅力を感じる、という事象は私の知っている世界には無かった。
関ジャニ∞の横山裕といえばヒルナンデス!バラエティー!というのが世の中のイメージだろうし、そこにいるということが横山さんの強みでもあるだろうし、でもドームでコンサートをすれば5万人相手にキラキラのアイドルをしたりする。そんな横山さんの二面性というか、”ジャニーズだから何でもできる”っていうのを”自分なりに”体現するアイドル観というか、プロ意識というか、そういうところが堪らなく好きで。私が横山裕に転がり落ちた瞬間もここに由来してたりする。
正直、私は「破門〜ふたりのヤクビョーガミ〜」を観るまで、役者としての横山さんにはあまり魅力を感じていなかった、というか、自信がなかった。(何様)
役者 というより、演じている横山裕 としか認識が出来なかった自分がいて、「みんな見て見て!!!すごいでしょ!!!」って大きな声で叫ぶことが出来なかった。だから、自信がなかった。
「ブルームーン」のときは横山さんにとって初の主演舞台で、それをこの目で観ることができるっていうことがすごく嬉しくて、横山さんが舞台の主演を務めるという世界がすごく有り難かったけど、なんというか、うまく言えないけど、”ここは大切な通過点だな”って何故か漠然と思っていた。向坂ユタカ を観ているはずなのに、ずっと心の中で”がんばれ”って念じながら舞台を観ていて、カーテンコールでホッとしたような笑顔で客席に手を振る 横山裕 の姿に安堵して涙が出た。この経験がこれからの 横山裕 の糧になることを願い、まだまだこれからだと横山さんがより輝いていくこと、そしてその前進していく姿を見させて欲しいと望んだ。
そんな私が「破門〜ふたりのヤクビョーガミ〜」を観てから、”演じる”横山さんに対して今までと違う感情を抱くようになる。
なぜならスクリーンの中では 演じている横山裕 ではなく、二宮啓之 が生きてたから。
私も 啓ちゃん って呼びたい(頭を抱える)
映画の公開期間中、この言葉を何度口にしたかわからない。油断すると 啓ちゃん… って口からこぼれ落ちてた。啓ちゃんが背負ってたジャンスポにはブタ鼻*2が付いてた…!とか言って必死に同じバックパックをネット検索した。バックパックにグレゴリーの旧ロゴのポーチも付いてた…!とか言ってもう売ってない旧ロゴのポーチを求めて古着屋を回った。
このあたりでハッと気づく。
私、啓ちゃんのことだいぶ好きだわ
今まで自担が演じる役が身につけているものを探すなんて、ましてや身につけたいだなんて思ったこともなかった。だって役にすぎないし。それは演じている横山裕だし。もうこの構え方の時点で役にも作品にも思い入れというものがとてつもなく薄い。だって、自信がない。
でも 二宮啓之 は違ったんだよなー。
だからTwitterでも散々、啓ちゃん啓ちゃん 言いまくった。ジャンスポのバックパックの話もしまくった。ジャンスポに関しては盛り上がりすぎて、フォロワーさんに 映画見ながらバックパックのこと考えちゃった と言われる始末だった。(迷惑)
何度も破門を観ている中で、クスッと出来るシーンで他のお客さんが笑っているのがわかると、グッときてしまって映画館で静かに泣いたこともあった。(情緒)
でもこの瞬間に「みんな見て見て!!!!!すごいでしょ!!!!!これが私の好きな人です!!!!!」って大きな声で叫びたい、と思った。破門おもしろいよ!二宮啓ちゃん愛おしいよ!って大きな声で叫べるって思った。
これは私の世界に起きた大きな変化だった。
それに加えて、「破門〜ふたりのヤクビョーガミ〜」の主題歌・なぐりガキBEATのジャケットでは横山さんがセンターに立ち、曲中では横山さんが冒頭からトランペットを吹き、最後のフォーメーションでは横山さんがV字トップで麗しい横顔を存分に見せつけて終わる。
何度も何度も言うけど、2011年に横山裕に転がり落ちてから、たかが6年ほどの年月しか経っていないけれども、こんな世界が待っているなんて私は思いもしなかった。
小さな不満があった時期も無かったとは言えないけれど、基本的には横山さんを応援していることが楽しくて、嬉しくて、私は今までだってきちんと満たされていたと思う。
でも映画の主演として、その物語の主人公として、スクリーンの中で生きる 二宮啓之/横山裕(関ジャニ∞)を観る日が来るなんて。主演映画の主題歌を関ジャニ∞が歌い、そのジャケットでセンターに立つなんて。その曲中でトランペットを吹くなんて。挙げればキリがない程、想定していなかった事態が勃発している。
”横山さんを応援していて幸せだ”
今までもそう思っていたけれど、漠然と今までに味わったことのないような、大きくて温かい、そんな幸福感で満たされた。
映画館で思わず涙が流れたのは、横山さんが”演じる”二宮が佐々木蔵之介さん演じる桑原とクスッとする掛け合いをしていて、それを観たお客さんが笑っていたからで、その瞬間に”横山さんが二宮を演じている作品で人が笑顔になっている”と実感したからである。
これは私にとって 横山裕 が人を笑顔にしている、というのとは訳が違う。「破門〜ふたりのヤクビョーガミ〜」という世界線で、スクリーンの中で生きている”二宮啓之”が、人を笑顔にしていたのだから。そして、そんな空間が全国の映画館で展開されている。……え、やばくね???幸せすぎるでしょ???え???意味わからないね???ってなるじゃん、私はなった。そして泣いた。情緒が乱れてるとか知らねえ、勝手に涙がこぼれた。幸せで堪らなくて、涙がこぼれた。
そこから私は初めて”演じる”横山さんに、正面から向き合えるようになったんだと思う。そして、胸を張って”演じる”横山さんを「いいでしょ!!!!!かっこいいでしょ!!!!!」って応援できるようになったんだと思う。
遅くなってごめんなさい、でも心から応援できる側面を増やすチャンスをくれてありがとう、って更に横山さんを好きになれた、更に好きになってしまった。
そして私は有り難いことに自名義で初めてXのついた列のチケットを引き当て、 妄想歌謡劇「上を下へのジレッタ」の観劇を迎えることになる。
ここまでバーーーッと書き殴って3000文字オーバー(笑)なので一旦締めま〜〜す(笑)ジレッタのことはまた気が向いたら書こうかな〜〜って感じです、おわり!(極めて雑な終わり)